Friday, November 09, 2007

つながっている


いつも見ている「ただの山」と思っている山もちゃんとした「自然」であって、今も手つかずのところは百年前も手つかずだったし、縄文時代だってそこで木の実を採ったりしていた頃からそこにあって、それは植物の古い時間と新しい時間も混在しているし生長の過程と死につつある過程も混在しているということ、と保坂和志が書いていた。

そんな風に”つながっている感”を持ったことがなかったからじんわり驚いた。
知らぬ間に触れていることって沢山あるのだろうなーと思ったのでした。
japon:yoshii

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